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患者さんの声

【前編】肺⾼⾎圧症と向き合い、再び保育の現場へ

伊⾖みどりさん(群⾺県)

2015年に肺⾼⾎圧症のうちの⼀つ、「特発性肺動脈性肺⾼⾎圧症」の診断を受ける。

患者さんの声【前編】肺⾼⾎圧症と向き合い、再び保育の現場へ 伊⾖みどりさん(群⾺県)

⼤きな不安のなか医療チームに⽀えられ病気を受け⼊れるまでの経緯

最初の異変は診断の2年前、保育⼠として⼦どもたちと遊んでいるときに息切れや異常な発汗を感じるようになった。やがて緩やかな坂でも息切れを感じるようになり、⾷欲も低下し徐々に⾷事が取れなくなる。消化器内科を受診し検査を繰り返すものの原因を特定できず、更年期障害の診断を受けた。

その後、症状の急激な悪化で救急搬送され、肺⾼⾎圧症の疑いで専⾨病院に転院。転院先で内服薬の治療を開始した⽮先に意識不明となり、「特発性肺動脈性肺⾼⾎圧症」と診断されカテーテル治療を開始した。その後、急性⼼不全やカテーテル感染による複数回の⼊院を経て、現在はカテーテル治療を離脱。内服薬と吸⼊薬による治療を続けながら診断後に⼀度は退職した保育⼠の仕事に復職し、患者会の運営や難病ピア・サポーターの活動、趣味を楽しんでいる。

取材⽇:2025年3⽉2⽇

肺⾼⾎圧症と診断され、⼤好きだった保育の仕事を続けることが難しくなった伊⾖さん。突然の病に⼾惑いながらも、医療チームや周囲の⽀えを受けて、病気と正⾯から向き合い治療を続けてきました。そして困難をひとつずつ乗り越えるなかで、⾃⾝に合った治療に出会い、再び⼦どもたちの笑顔に囲まれる⽇々を取り戻しています。今回、発症から治療、そして職場復帰への道のりについて、伊⾖さんの貴重な経験をうかがいました。

前編では、発症から診断を経て治療を開始し、病気を受け⼊れるまでの経緯をご紹介します。

診断の2年前から感じていた息切れ やがて異常な発汗や⾷欲低下も伴うように

診断の2年前から感じていた息切れ やがて異常な発汗や⾷欲低下も伴うように

私は2015年に肺⾼⾎圧症と診断されたのですが、実はその2年ほど前から体に異変を感じていました。当時は保育⼠として働いており、⼦どもたちと⻤ごっこをすると、すぐに息切れし、やがて季節を問わず異常なほど汗をかくようになりました。その頃に受けた⼈間ドックで異常はなく、「年齢のせいで、体⼒が落ちてしまったのかな」と思っていました。

さらに半年ほど経つと、今度は⾃宅近くの緩やかな坂道を登るだけでも息切れするようになり、⾷欲も低下。最終的にはゼリーと⽔分以外は⼝にできないほどで、消化器内科で何度も胃カメラの検査を受けましたが、異常は⾒つかりませんでした。年齢のこともあり「更年期障害」と診断されましたが、仕事の先輩から聞いていた更年期の症状とはどこか違い、不安を拭うことができずにいました。

呼吸困難と激しい痛みにより救急搬送され初めて聞いた「肺⾼⾎圧症」

⾷欲低下が続いて3ヵ⽉ほど経つと、⾜のむくみがひどくなり、息切れもさらに悪化していきました。そしてある⽇の朝、呼吸困難と激痛で体が動かせなくなり、救急搬送されたのです。搬送先では当初、原因は判明しませんでしたが、幸いなことに、その⽇はたまたま他の研究機関の医師が来院しており、「⾼地に住んでいないか? ⾶⾏機に乗っていなかったか? 家族に⼼臓疾患の⼈はいないか?」など、詳しく問診をしてくださいました。私はどれにも該当しなかったことから、その医師が「肺⾼⾎圧症という珍しい病気の可能性がある」と指摘してくれたのです。スマートフォンで「肺⾼⾎圧症」を調べてみると、「予後不良」という情報ばかりで、「私は死んでしまうのかもしれない」と驚き、病気について情報収集を始めました。

その後、専⾨病院に転院し、⼊院中に内服薬治療を開始しました。しかし、症状が少し落ち着いたと思った⽮先、突然、地震のように全⾝が震え、⼼臓が握りつぶされるような激痛に襲われて倒れてしまいました。すぐに検査室へ運ばれましたが、息もできないほどの痛みのなかで、「死ぬかもしれない」という恐怖と「⽣きたい」という強い気持ちが交錯していたのを鮮明に思い出します。その後、意識を失い、5⽇間にわたって意識不明の状態が続きました。

⼤きな不安のなか、医療チームに⽀えられた回復への道

⼤きな不安のなか、医療チームに⽀えられた回復への道

ICUで⽬を覚ますと、看護師さんが声をかけてくれ、⾃分の置かれた状況が少しずつ理解できるようになりました。「なぜ私が肺⾼⾎圧症に? 悪いことをしていないのに、どうしてこんな⽬に?」という思いが頭のなかを巡るなか、主治医から「内服薬だけでは病気を抑えられないので、カテーテルを使った薬物治療を⾏います」と説明を受けました。
「カテーテル治療は⽣きるために必要なものなのだ」と覚悟を決めましたが、ICUにいる間は、「⽣きて帰れないのかもしれない」という不安が常につきまとっていました。カテーテルを⼊れる際に⼼臓カテーテル検査も⾏われ、肺動脈に⾎栓がないこと、基礎疾患や家族歴がないことから、特発性肺動脈性肺⾼⾎圧症と診断されました。

その後、懸命な治療のおかげで症状が改善し、ICUから⼀般病棟の個室に移ることができました。⼊院中は、ICUや⼀般病棟の看護師さんが精神的にも⼤きな⽀えになりました。たとえば、ICUを出る時に看護師さんが「伊⾖さんがICUから⼀般病棟に移れて嬉しい」と⾔ってくれたことは闘病の励みとなり、「絶対、歩いて退院しよう!」と前向きな気持ちになったのを今でも覚えています。

治療の第⼀歩は⾃分の病気を知ることから

ICUで⽬が覚めてからは「私は病気のことを何も知らない」と感じて、肺⾼⾎圧症や治療について学ばなければならないと考えていました。もともと保育⼠として働いていたこともあり、わからないことがあれば、すぐに調べる習慣が⾝についていたため、病気についても⾃然と“学ぼう”という気持ちが湧いてきたのかもしれません。

ICUでは、医師や看護師さんから病気や治療のことを少しずつ教えてもらい、⼀般病棟の個室に移ってからは、スマートフォンを使って⾃分で調べるようになりました。意識不明の間には、⼈⼯⼼肺装置などを⽤いた⼤がかりな治療が⾏われていたことに驚いたり、それぞれの内服薬の作⽤を理解したりするなかで、徐々に肺⾼⾎圧症やその治療を⾃分のものとして受け⽌められるようになっていきました。

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