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PH患者さんの声

“限界の少し先”へ
―PAH とともに自分らしい人生を目指して

宇佐美 幸恵さん(東京都)

PH患者さんの声 ”限界の少し先”へーPAHとともに自分らしい人生を目指して 宇佐美 幸恵さん(東京都)

突然の肺動脈性肺高血圧症(PAH)の診断から、精神的につらい時期や大変な治療を乗り越え、自身の夢であった妊娠・出産を経験した宇佐美さん。時には立ち止まりながらも、家族の支えを受けつつ、子育てや患者会の活動など充実した日々を過ごしています。今回、“限界の少し先”にチャレンジし続ける宇佐美さんに、PAH診断からここまでの道のりや、PAHとともにより良い人生を歩むためのヒントを伺いました。

取材日:2025年5月29日

宇佐美 幸恵さん(東京都)

宇佐美 幸恵さん(東京都)

2014年に肺高血圧症のうちの1つ、「特発性肺動脈性肺高血圧症」の診断を受ける。発症前から旅行を趣味とし、「やりたいことを病気で諦めない」をポリシーに主体的に治療に取り組む。発症後に妊娠・出産を経験し、夫と4歳の男の子、7歳の犬との3人と1匹暮らし。

息切れやめまいを感じていたものの突然の診断に「まさか私が」ととまどう

今思い返してみると、PAHと診断される以前から、腕や背中が急に痛くなるといった前兆のような症状を感じていました。しかし、症状は比較的軽く、少し我慢すれば短時間で治まっていたため、深刻には捉えていませんでした。やがて階段や坂道で息切れするようになっても「運動不足かもしれない」と思い、体力づくりのためにスポーツジムに通っていたぐらいです。

ところが、症状は改善するどころか、めまいを起こすことも増えていきました。そんな中、2014年のある日、これまで経験したことのないような痛みに襲われ心停止に。大学病院に救急搬送され、PAH・狭心症と診断されました。幸い、搬送された大学病院にはPAHの専門医がいて、継続して診ていただけることになりました。

診断を受けて「まさか私が」「どうして?」と思いつつも、すぐにはその現実や病気の重さを受け止めることができませんでした。それまで自分が大きな病気になるとは思っていなかったので、突然「あなたはPAHという難病です。日常生活に制限が必要で、将来的には肺や心臓の移植も視野に入れてください」と告げられても、なかなか心が追いつかず、しばらくはうつ状態だったと思います。おそらく家族も同じように信じられない気持ちだったはずですが、私が立ち直るまで寄り添い、見守ってくれたことには本当に感謝しています。

息切れやめまいを感じていたものの突然の診断に「まさか私が」ととまどう

治療の進歩で変わるPAH治療 主体的に自分に合った方法を見つけていく

私のPAHの治療は、内服薬と静注薬の併用から始まりました。医師からは「重いものは持たないで」と言われていたにもかかわらず、持続静注のポンプや薬剤冷却用の保冷剤はずっしりと重く、外出もままならない状況が続きました。また、体調が不安定な中での薬剤調製やカテーテルの感染予防にも神経を使い、とても大変でした。

その後、治療は皮下注射に変わり、生活上の負担は軽くなったものの、注射のたびに激痛が走り、毎回、痛みに泣きながら治療を続けていました。現在は内服薬のみの治療となり、通院は2か月に1回です。以前に比べると通院の負担は減りましたが、主治医に会う機会が少なくなったため、診察の際にはあらかじめ質問をまとめたり、希望を伝えたりできるよう準備をしています。また、相談や体調に不安があるときには、予定外で受診することもあります。

どの治療でも苦労したのは、副作用への対処でした。PAH患者さんとお話すると、ほぼ全員が副作用に悩まされており、それが私たちの生活に大きな影響を与えています。副作用が軽くなれば、気持ちが前向きになり、ストレスも減って行動範囲も広がります。そのため、PAH患者さんはそれぞれが自身に合った対処法を模索しながら治療を続けています。

PAHの治療薬は日々進歩しており、最近は選択肢も増えてきました。私が治療を始めた頃は「この薬剤が合わなかったら、もう後がない」という不安を常に感じていたのですが、今では薬が合わないと感じたときは、主治医に相談し、別の治療を試してみることもできます。だからこそ、「自分はどうしたいのか」「どんな生活を送りたいのか」といった自分の考えを持ち、主体的に情報を集めたり、薬剤師さんなどにも相談したりしながら、自分に合う治療を見つけていくことが欠かせないと感じます。

PAHでもあきらめずにつかんだ夢 ―妊娠・出産、そして再び海外旅行へ 

PAHでもあきらめずにつかんだ夢 ―妊娠・出産、そして再び海外旅行へ

PAHは日常生活への影響が大きく、現時点では完治が見込めないため、前向きに捉えることは簡単ではありません。でも私は、つらさばかりに目を向けて落ち込む“負のスパイラル”に陥らないよう、日々工夫を重ねてきました。「やりたいことを病気で諦めない」というのが、私なりのポリシーなのです。

たとえば、私はPAHと診断されたあと、長年の趣味であった海外旅行にもう一度挑戦すること、そして妊娠・出産をすることを長期的な目標に掲げました。妊娠・出産については、過去に流産を経験していたため不安もありましたが、海外ではPAH患者さんの出産例も報告されており、希望はあると考えていました。

もちろん、PAHがありながら妊娠・出産を目指すことには困難が伴ったのも事実です。主治医や産科の先生、家族も簡単には賛成してくれませんでした。私自身、妊娠・出産に耐えられるよう、肺動脈圧を下げるために生活を工夫したり、試行錯誤をしながら準備を進めました。周りの協力と日々の努力の甲斐もあって、無事に息子を出産。先日の患者会では、コロナ禍でなかなか会えなかった以前の主治医に息子を紹介することもできました。また、もう1つの目標だった海外旅行に関しても、来月、息子と2人でアメリカを訪問する予定です。

家族で協力し、さまざまな工夫をしながら、前例の少ない子育てに取り組む

PAH患者の子育ては、前例が少ないこともあり、まさに手探りの連続です。私たち家族は、息子を0歳のころから保育園に通わせ、日中はできるだけ私のペースで過ごすことで体力を温存しています。また、山登りやかけっこなどの激しい遊びは体力のある夫に任せるなど、役割分担を工夫して対応してきました。

ただ、実際に子育てをして気づいたこともあります。たとえば、子どもに障害がある場合には公的な支援制度がある程度整っている一方で、親に障害がある場合のサポート体制はまだまだ不足しているのが現状です。将来的には、親に障害があっても安心して出産・子育てができるよう、必要な支援を受けられる社会になることを願っています。

PAHでも“太く長く”生きる時代 患者体験の共有がQOLの向上につながる

PAHでも“太く長く”生きる時代 患者体験の共有がQOLの向上につながる

PAHと診断された当初、私も「完治しない」「日常生活の制限が続く」と言われて絶望しました。けれども治療の進歩により、早期に適切な治療を行えば、症状や肺動脈圧の改善も期待できるようになっています。今や私たちPAH患者は、“細く長く”ではなく、“太く長く”生きる時代になりました。私が活動する患者会でも、新薬の話題は毎回のように取り上げられますが、皆さん「自分に合う薬でありますように」と希望を持って参加されていて、PAHだからといって人生を諦めなくていい時代になったことを実感します。私もPAHになる前の生活に少しでも近づけるよう“限界の少し先”を目指しつつ、将来的にはスカイダイビングなどにも挑戦できたら良いなと考えています。

一方で、私たちに足りないのはQOLを改善するための具体的な情報です。たとえば新薬の情報はインターネットで簡単に得られますが、生活の中で工夫すべきこと――たとえば、体に負担の少ない家事や移動のしかたなどの実体験に基づいた情報は、まだ限られています。医師は病気や治療薬については詳しくても、私たち患者の日常の細かな困りごとまで想像することは難しいものです。だからこそ、患者同士の情報共有がとても大切だと感じています。

最近はPAHという病気の認知度も少しずつ高まってきましたが、まだ十分とはいえない状況が続いています。私たち患者1人ひとりが声を上げ、情報を分かち合うことで、より良い治療環境と理解のある社会の実現を目指していきたいと考えています。

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