患者さんと家族の関わり⽅について考える

肺⾼⾎圧症はそれまでの⽣活に⼤きな影響をもたらし、家族との関係や関わり⽅も変わる可能性があります。また、家族という⾝近な存在であるからこそ⽣じる問題や衝突もあると思われます。
今回は患者さん代表として関⾕ 亜希⼦さん、そして患者さんのご家族代表として森⽥ 智美さん、NPO法⼈ PAHの会の理事⻑である村上 紀⼦さん、医師代表として東京⼤学の皆⽉ 隼先⽣にお集まりいただき、患者さんご本⼈と、そのご家族の視点から患者さんとご家族の関わりや⽀援の⽅法、病気への向き合い⽅などについてお話しいただきました。
2023年8⽉8⽇開催
〜 参加者 〜
司会:
皆⽉ 隼 先⽣
CTEPH(慢性⾎栓塞栓性肺⾼⾎圧症)に対するカ
テーテル治療を専⾨とするが、PAHの診療にも数
多く携わる。
パネリスト:
村上 紀⼦さん
1996年に娘さんが14歳でPAHと診断され、当時治療薬が承認されていた⽶国で治療を受ける。NPO法⼈ PAHの会 理事⻑でもあり、20年近くにわたり患者会に携わる。
森⽥ 智美さん
息⼦さんが0歳でPAHと診断される。2年間の⼊院⽣活を経て医療ケアを継続しながら在宅治療へ移⾏。現在中学⽣の息⼦さんは飲み薬による治療を継続している。NPO法⼈ PAHの会 会員。
関⾕ 亜希⼦さん
2021年にPAHと診断される。飲み薬と吸⼊薬による治療を継続している。
患者さんからご家族への要望とご家族が⾏ってきたサポート
家族に伝えたい患者さんの気持ちや要望

皆⽉先⽣:⽇本製薬⼯業協会が2022年に⾏った「希少疾患患者さんの困りごとに関する調査」では、患者さんの困りごととして、疾患の情報の少なさ、社会による疾患の理解・知識不⾜、病状による精神的・⾝体的苦痛などが挙げられています。また、患者さんが疾患についての要望を伝えたい相⼿として、約4割の⽅が「家族」を挙げており、実際の声としては「⽇常や社会⽣活で制限が⽣じること、病気のことを理解してほしい」などが聴かれました。⼀⽅、患者さんのご家族からは、患者さんや疾患に対してどのように向き合えばいいのか、家族としてどのような⽀援が受けられるのかといった悩みや疑問の声もあります。
そこで本⽇は患者さんご本⼈と、患者さんを⾝近で⽀えているご家族の視点から、病気との向き合い⽅や⽀援についてお話を伺い、患者さんとご家族のより良い関わり⽅について考えるきっかけにしたいと思います。
関⾕さんがPAHと診断されたときのご家族の反応はどのようなものでしたか。

関⾕さん:これまで⼤きな病気をしたこともなく、家族や親戚にもPAHの⼈がいなかったので、夫や⺟は⾮常に驚いていました。インターネットではPAHは余命2〜3年ともされており、私がICU(集中治療室)に⼊院したこともあって、家族は私が死んでしまうのではないかと思ったようです。特に夫は気持ちの整理がつかず、娘2⼈にどう説明しようと混乱していました。
皆⽉先⽣:診断されたご本⼈もショックが⼤きかったと思いますが、そのときに家族に知ってほしかったことや分かってほしかったことはありますか。
関⾕さん:インターネットでは余命が数年と書かれており不安になりましたが、薬の服⽤や適切な治療を受ければそんなに悲観する病気ではないことを夫や⺟には分かってもらいたい気持ちがありました。また、難病は⾼額な治療費がかかるイメージがありますが、医療費助成制度を利⽤でき、⾦銭的な⼼配はないことを当時の夫に早くに知らせたかったと思います。
ご家族が診断されたそのとき

皆⽉先⽣:娘さんや息⼦さんがPAHと診断された村上さんや森⽥さんは、当時どのように感じられましたか。
村上さん:関⾕さんのお話を伺って、時代が変わったと感じました。けれども私が患者会を運営していて実感するのは、PAHは病気と向き合ってしっかり治療をしていく必要のある、決して安⼼できる病気ではないということです。娘が14歳でPAHと診断されたとき、⽇本には治療法がなく余命6ヵ⽉と宣告されましたが、その余命宣告のおかげで家族は必死に情報を集めて、⽶国で静注薬によるPAHの治療が⾏われていることを知り、渡⽶する覚悟ができました。娘も⽣きていくために24時間静注という負担の多い治療を受け⼊れられたと⾔っています。PAHはもう治る病気だと⾔われる先⽣もいらっしゃいますが、厳しいことを⾔ってくれる先⽣も必要だと思います。当時、⼤丈夫と⾔われていたら、娘は現在⽣きていなかったのではないか、厳しい病気だと⾔っていただいたおかげで、家族で団結して藁をもつかむ気持ちで渡⽶して治療を受けて⽣き延びたのではないかと思っています。
皆⽉先⽣:当時はほとんど治療法もない時代だったので⼤変なご苦労だったと思います。森⽥さんはどのように感じられましたか。

森⽥さん:現在中学⽣の息⼦は⽣後1ヵ⽉のときに体調が悪くなり、ICUのある総合病院に搬送されましたが、肺と呼吸の状態が悪い中で⾊々な検査を受け、確定診断までに4〜5ヵ⽉かかりました。肺⽣検が決め⼿となりPAHと確定診断されましたが、それまでは疑われる病名や遺伝性の病気などをたくさん聞いて不安な思いで過ごしました。診断されて治療が開始されたときには、それまで不安や苦しい気持ちが強かった分、安⼼した⾯もありました。
皆⽉先⽣:肺⾼⾎圧症の認知度は徐々に上がってきていますが、10年以上前は今よりもっと低く、早期診断や早期発⾒は今後の課題でもあります。診断を受けたときに安⼼されたとの⾔葉は医師として学ぶものがある⾔葉です。では、ご家族がPAHと診断されたときにどんなことをされましたか。
村上さん:娘が診断された27年前は、⽇本には治療できる専⾨の医師がおらず、治療法もなかったため、ひたすら海外の情報を収集しました。幸い⽶国で治療薬が承認されている情報に巡り合い、すぐにパスポートを取って渡⽶し、治療を受けることができました。
皆⽉先⽣:情報収集も、今のようにインターネットで簡単に調べることもできずに本当に⼤変な状況だったと拝察します。森⽥さんはいかがでしょうか。
森⽥さん:息⼦が診断されてからの⼊院⽣活は⻑く続きました。乳児の息⼦は⾃分の気持ちや痛みなどを伝えることができないので、私が毎⽇病院に付き添って、⼩さなことでも⾒逃さず病院のスタッフに伝えなければと気を張っていました。毎⽇病院に通っていましたが、症状が⼤きく改善することはなく、セカンドオピニオンを受けに⾏ったほうがいいのか迷ったりもしました。病院内に同じ病気の患者さんがおらず、⼩児の情報も少ない中、調べたり病院に通ったりする毎⽇を過ごしていました。
皆⽉先⽣:10年以上前は私⾃⾝も肺⾼⾎圧症について認識していなかった時代です。さらに息⼦さんもまだ⼩さく、⼼配も⼤きかったと思います。肺⾼⾎圧症は、現在でも命を落としてしまう患者さんがいる現実は否定できず、早期診断、早期治療が重要です。特に最初の治療のうちは安静が⾮常に⼤切です。また、肺⾼⾎圧症はカテーテル検査で数値が出るため、その数値に⼀喜⼀憂してしまいがちですが、過度な悲観も楽観もしないことが⼤切だと思います。皆さんのお話を伺って、これまで肺⾼⾎圧症患者さんを診療する中で経験してきたこと⼀つひとつを⼤事にして今の患者さんの幸せを構築することを考えていきたいと思いました。
周囲との関係の変化とその対応について
家族や職場での関係の変化
皆⽉先⽣:肺⾼⾎圧症と診断されると、安静を指⽰されたり酸素吸⼊を開始したり、仕事にも影響が出て⽣活が⼀変します。肺⾼⾎圧症であることを⾃分で受け⼊れる過程での葛藤があると思いますが、家族との間でも衝突することなどはありましたか。また、そのようなときはどのように解決しましたか。
関⾕さん:まだ⼩さい娘が外遊びをしたがったときに、「ママは病気だから外で遊べないんだよ」と伝えても分かってもらえず、夫に外遊びをしてもらっていました。ただ、夫も疲れて外遊びをさせられないことも多かったので、話し合って週に1回ベビーシッターを依頼し、外遊びをしてもらうことで解決しました。また、夫婦ともに仕事をしており、お互い疲れていることもあって家事分担が上⼿くできていませんでしたが、私は体調を悪化させないためにも疲れたらすぐに寝て、残った家事は翌朝やるというスタイルで何とか⽇常を送っています。なかなか家事に⼿が回らないことが多いので、週に1回くらい家事代⾏サービスを利⽤しようかと夫と検討しています。
皆⽉先⽣:肺⾼⾎圧症の治療で⼤事なのは安静なので、どうしても私も含めて安静にするよう伝える医師は多いと思います。ご家族で相談して外部のサービスを利⽤する⽅法は素晴らしいと思います。職場の理解などはいかがでしたか。

関⾕さん:PAHと診断されてから⼊社した今の職場はフルリモート勤務が可能な会社ですが、難病で障害者⼿帳を持っていて、酸素ボンベも使⽤していることを伝えると、想像した以上に要注意⼈物として扱われ、社員旅⾏やチームランチなどの会社の⾏事にほぼ誘われることがなく、もやもやして悲しい気持ちになりました。合理的配慮をしてもらえれば参加できることを上司に相談しましたが、私が参加して倒れることがあったら困るからと状況は変わりませんでした。このことを相談した友⼈にも「それは無理でしょう」と⾔われて、⼀般的な認知はその程度なのかとショックを受けました。私は通院や買い物も⼀⼈でして普通の⽣活を送っているので、肺⾼⾎圧症でも少しくらいなら外に出ても⼤丈夫なのだという正しい知識が広まってほしいと思います。
皆⽉先⽣:病状については⾎⾏動態が安定していないと、旅⾏などの⾮⽇常的な活動は⼼配な⾯があるので、事前に主治医に相談していただければと思います。休職していた肺⾼⾎圧症患者さんが復職する際は勤務の調整が必要なことが多く、職場の⽅が外来にいらっしゃることもあります。肺⾼⾎圧症患者さんが快適に働くことができ、職場の⽅の⼼配や要望などを上⼿く調整してくれる何らかのシステムがあると望ましいと考えています。
周囲の反応とそれに対するサポート
皆⽉先⽣:続いてご家族の⽅に伺いますが、娘さんや息⼦さんに対してどのようなサポートをしてこられましたか。

村上さん:娘は帰国後も静注のポンプを24時間持ち歩いている状態でした。家族は娘が⽣きているだけでいいと思っていましたが、娘はどうしても学校に⾏きたいと希望したため、学校側と話し合いをしました。病名も伝えたところ、病気について調べた学校側が突然死んでしまう可能性もある病気だと⾮常に⼼配したため、親の責任で通学させる「覚書」を交わして通学が可能になりました。「覚書を交わす」と聞くと違和感を覚える⽅もいらっしゃるかもしれませんが、⾞での送迎も許可してもらうなど学校側は様々な配慮をしてくださり、娘は学校に通うことができました。
森⽥さん:息⼦は退院してからも医療器具を付けていましたが、病気があっても外に出て⾊々チャレンジできることを知ってほしくて、無理のない範囲で外に出るようにしていました。幼稚園⼊園前は同年代の⼦と関わるために地域の児童センターにも連れて⾏きましたが、医療器具を付けている息⼦に驚かれるので、私が常に説明できるようにそばにいて、周囲の⼦どもや親に「こんな⼦どもがいても⼤丈夫なんだ」ということを伝えるようにしていました。
皆⽉先⽣:息⼦さんが⼩さいときは⾃分の状況も分からないので、その部分も含めてサポートするのは⼤変だったと思います。周囲の理解やサポートを受けるためにはどのようなことを⾏いましたか。
村上さん:学校に受け⼊れてもらうために覚書を交わしましたが、相⼿の理解を得るためには、こちら側も相⼿を不安にさせない配慮が必要だと思います。不安にさせないということは、今の時代は訴訟リスクがあり、そのために覚書が必要でした。病気の説明をいくらしても話し合いが平⾏線ということもあると思います。まずは学校や職場などが何を望んでいるかを聴いて、こちらもそれを受け⼊れて信頼関係を築くことが⼤切だと思います。患者会では、「学校が受け⼊れるのは当たり前」とけんか腰で相談してくるご家族もいらっしゃいます。権利を振りかざして主張すると、相⼿も警戒して余計な軋轢(あつれき)を⽣みますが、最初に信頼関係が結べれば、相⼿も⼈間なので温かい⽬で⾒守ってもらえるのではないかと⾃分の経験から感じています。
皆⽉先⽣:⼀般社会における⼈間関係と同じですね。森⽥さんはいかがですか。

森⽥さん:村上さんがおっしゃったように知ってもらうことはとても⼤切です。こちらが何の説明や努⼒もせずに相⼿に詰め寄ったら警戒されてしまいます。最初は丁寧に説明して知ってもらい、応援してもらう気持ちで⾒てもらえたほうが相⼿の警戒⼼を取り除けると思うので、こちらからの歩み寄りは⼤事だと考えています。息⼦は幼稚園にも⼊園しましたが、当時はまだ医療器具を付けていたので、私が付き添い通園をして、何かあったときに対応できるよう園の別室での待機を1年程度⾏っていました。保護者会では、息⼦の状態、活動に制限があることをお話しして、医療器具を付けているけれど、私がそばについているのでクラスの⼦どもが⼀緒に遊んでも⼤丈夫であることを伝えました。園の⼦どもには紙芝居形式で息⼦の状態や医療器具について説明しました。私が別室で待機することを幼稚園や保護者、⼦どもたちに伝えることで周囲も安⼼し、息⼦を受け⼊れてもらいやすくなったと思います。また、学校や園の⾏事については早めに学校や園と相談し、医師の意⾒書など必要なものを確認して周囲と意⾒をすり合わせながら、⼯夫すれば参加できる⾏事は参加できるよう努⼒しました。
皆⽉先⽣:⾏事の参加などについて、医師のほうでも対応できることがあれば対応したいと思います。今になって「こんなことをしてあげたかった」ということはありますか。
村上さん:娘は進学時に家からは通えない遠⽅の学校に⾏きたいと希望したことがありました。娘なりの⼈⽣の夢があったと思いますが、娘以上に親のほうが病気の深刻さを理解していたこともあり、遠⽅の学校に⾏く夢をサポートしてあげることができませんでした。けれども、病気でも⼈間は⽣命⼒があってたくましく⽣きていこうとするのだと実感した出来事です。
皆⽉先⽣:それは⾮常に難しいですね。娘さんがそこまで希望できるくらい元気になって良かったと思いますが、病気のことを考えると難しい決断だったと思います。森⽥さんはいかがですか。
森⽥さん:息⼦が⼩さいときは、してあげたいことは何でもやってきたつもりです。今、息⼦は中学⽣で、状態も安定していて⾃分でやりたいことがこれから増えてくると思うので、やってみたい気持ちを私が制限しないよう、⼯夫してできることはやらせてあげたいと思っています。病気があっても⼤丈夫という⾃信を息⼦にも持ってもらいたいですし、息⼦には⾃分の⼈⽣があるので⾒守りながら⼀歩引いたサポートを⼼がけたいと思います。
患者さんやご家族が求めること
患者さんが家族や周囲に求めること
皆⽉先⽣:患者さんとして、ご家族にどのように関わってほしいと思いますか。
関⾕さん:私は家族が夫と娘2⼈なので、夫に頼ることが多くなります。夫には家事も育児も⼗分担ってもらっているので、夫の負担を減らすためにも、家族の⼀員として娘に少しずつ家事を⼿伝ってもらおうと考えています。また、新しい友⼈や知⼈をつくったり、外部のサポートを探したりして困ったときに頼れる⼈をなるべく増やそうと考えています。夫には⼗分要望を叶えてもらっているので、今度は悩み過ぎてしまう夫を助けるためにも他の⽅法も考えていきたいと思っています。
皆⽉先⽣:誰かに負担がかかり過ぎないように負担を分担することが⼤事なのだと思います。ご家族のために医師ができることは何かありますか。
関⾕さん:夫は、私が急に死んでしまったらどうしようと悲観的になることがあり、あまりに思い詰められると私もつらいので何とかしたいと思っています。
皆⽉先⽣:PAHはしっかり知識をつけることが⼤事であり、楽観し過ぎも良くないですがあまり悲観的になる必要もありません。関⾕さんは私の患者さんでもあるので、私がご家族とも話をしてPAHの正しい知識を伝え、現在の関⾕さんの病状を把握してもらい、関⾕さんとご家族の関係が良好になるお⼿伝いをしたいと思います。
ご家族が周囲や医師に求めること
皆⽉先⽣:村上さんや森⽥さんに伺いますが、ご家族に対して医師ができることはありますか。

村上さん:これまで肺⾼⾎圧症患者さんが⻑⽣きするために、厚⽣労働省などに新しい薬や治療の⽇本への導⼊を働きかけてきました。肺⾼⾎圧症患者さんが⻑⽣きできるようになってきた今では、患者さんも⼈⽣の希望を持って⽣活しており、⼀⼈ひとりの⼼のケアが重要になります。けれども診察では、医師はカテーテル検査の結果に集中しがちで患者さんが何を望んでいるかを聴く機会があまりないと思います。肺⾼⾎圧症であっても海外旅⾏に⾏きたい希望があれば、すべてに無理と⾔うのではなく、緊急の対応を説明したり病院を紹介したりと相談できる先⽣になってほしいと思います。病気だけではなく患者さんの悩みや希望も⼀緒に考えてくれる⼼と⾝体の両⽅を診ていただける先⽣がいるといいと感じています。
皆⽉先⽣:患者さんが⻑⽣きしてそれぞれの要望が出てきたときに、それを叶えるために何ができるかを考えるのは医師の使命だと思います。不安にさせ過ぎず、楽観視し過ぎないよう折り合いをつけながら診療を⾏いたいと思います。
森⽥さん:患者さんも先⽣も歩み寄る努⼒をして信頼関係を築き、⼈間同⼠でお付き合いできたらいいと思います。私は、息⼦をずっと診察してくださっている主治医や看護師さんを⼀緒に病気を乗り越えてきた仲間だと思っています。病気だけを診てもらう関係にしたくなかったので、診察のときに退院後の息⼦がどんな⽣活を送っているか写真を持っていき、こちらから伝える努⼒もしていました。診察時間は短いですが、私は先⽣に会えるのを楽しみにしており、家での息⼦の様⼦を伝える時間も⼤事にしたいと考えています。難病と診断されたときは、本⼈も家族も受容まで苦しい思いをしますが、本⼈や家族が頑張る気持ちになったら、本⼈に病気のことをしっかり伝えて⼀緒に頑張っていただけたらありがたいと思います。
皆⽉先⽣:患者さんには⼀⼈ひとりの⼈⽣や⽣活があるので、私⾃⾝も診療で患者さんを不安にさせたり、治療だからといって決めつけて踏みにじったりしないよう⼼がけています。患者さんが何を望んでいるか聴くことが⼤切で、患者さんから話してもらえるような雰囲気をつくることが⼤事だと思います。⼀⼈暮らしの患者さんは家族にサポートしてもらうことが難しいため、障害年⾦の受給や⾝の回りのことは外部サポートの利⽤をお勧めしているのが現状です。また、肺⾼⾎圧症を抱えて⼀⼈で⽣きていくことは⼤変困難だと思うので、何かあったら病院に電話をしても⼤丈夫という雰囲気をつくるよう努めています。解決できないにしてもどんなことに困っているかを聴くことが、特に⼀⼈暮らしの患者さんでは⼤切だと思います。
肺⾼⾎圧症は完治が難しい病気ですが、そのストレスを⼀⼈で抱えるのではなく、ご家族やサポーター、外部に分散し、皆で⼒を合わせて過ごしていける環境を構築することが⼤切であり、私もその⼿助けをしたいと思います。本⽇はありがとうございました。