夢をあきらめず、病気に向き合ったプロサッカー選⼿
CTEPH啓発⼤使として活動するプロサッカー選⼿の細⾙萌さんがお届けする患者さんインタビューの2回⽬。今回、対談するのは同じサッカー選⼿で、Jリーグ、ヴァンフォーレ甲府で活躍する畑尾⼤翔(はたお ひろと)選⼿です。幼少の頃よりサッカーに励んできた畑尾選⼿を、ある⽇、突然襲った慢性肺⾎栓塞栓症。体調の不良を覚えながらも、その原因が分からずに途⽅に暮れる中での専⾨医との出会い。再びサッカーができるか不安の中、まわりの応援を受けながら懸命の治療を続け、夢であったJリーグのチームでプレーするまでの道のり、家族やサッカー、そしてファンへの想い、CTEPHに悩む患者さんへの熱いメッセージを伺いました。
2015年6⽉21⽇、ザ・プリンス パークタワー東京にて開催
1990年東京都⽣まれ。三菱養和巣鴨サッカークラブに所属していた2005年、⽇本クラブユースサッカー選⼿権(U-15)⼤会優秀選⼿に選ばれる。FC東京U-18に所属していた2007年にJユースサハラカップ優勝。2008年、⽇本クラブユースサッカー選⼿権(U-18)⼤会優勝。早稲⽥⼤学在籍中の2012年、体調の不良を覚え、それが後に慢性肺⾎栓塞栓症と判明。⼀時は選⼿⽣命も危ぶまれたが、翌年、⼿術を受けリハビリを開始。2014年にJリーグ、ヴァンフォーレ甲府と契約。2015年シーズンは、副キャプテンとしてチームをけん引している。(2015年6⽉現在) また、慢性肺⾎栓塞栓症の闘病経験をきっかけに、病気や障がいで困っている⽅々の⽀えとなりたいと考えるようになり、障がい者就労継続⽀援B型事業所PiiS Plaza さいたまを運営。⾃分が受けた恩を次に送っていく「恩送り」という形で、障がい者の皆さんの活躍の場を提供している。
(2024年6⽉現在)
症状の発現から診断を受けるまで
症状が出てから、診断されるまでには⻑い道のりがあった
細⾙選⼿:実際に会うのは今⽇が初めてですが、畑尾選⼿が重病を乗り越えてプレーをしているという話は聞いていました。ある⽇突然、症状が出たのですか?
畑尾選⼿:最初は突然に、胸が痛くなりました。僕は⼤学4年⽣で、キャプテンを務めていた上にシーズンも始まったばかりだったので、練習を抜けるわけにはいかないという気持ちが先⾏していました。
細⾙選⼿:それでもプレーを続けることに?
畑尾選⼿:はい。でもずっと息苦しさが続いて、コンディションが上がらなくて、そしてせきが⽌まらなくなりました。
細⾙選⼿:病院にはすぐに⾏ったのですか?
畑尾選⼿:最初に痛みが出てから3ヵ⽉後の5⽉に、「これはさすがにおかしい」と思って内科にかかりました。ずっと痛いというよりも、息が上がって苦しいので、体が肺を動かそうとして、それで背中の筋⾁も張ってしまうような感じでした。胸の痛みは後から出てくる感じで、寝られないこともありました。
細⾙選⼿:最初、「肋⾻が折れている」って思ったそうですね。
畑尾選⼿:はい。先ほどお話しした5⽉に内科にかかる前、最初に痛みが出たときは近所の整形外科に⾏って、胸部のレントゲン写真を撮ってもらいました。そうしたら肺の下半分に⽔がたまっていると⾔われて、その⽔を抜くために、その⽇のうちに⼤きな病院に⾏ったら、⼊院しなさい、と。シーズン中だったのでためらっていたら、「君、30%くらいの可能性で、死んでいてもおかしくなかったよ」と⾔われて。さすがに怖くなりました。
細⾙選⼿:そこから急展開が?
畑尾選⼿:⼊院して、たまっていた⽔を抜いてもらったのですが、すぐには原因が分かりませんでした。
細⾙選⼿:⼊院後は、すぐに練習に戻りましたか?
畑尾選⼿:はい、戻りました。⽔を抜いたら、せきも息切れも少し楽になったので、⼤丈夫かなという感じでした。
細⾙選⼿:その後の経過は?
畑尾選⼿:しばらくはいろんな検査を試しながらサッカーを続けていたのですが⼀向に原因が分からず、ベストコンディションにはなりませんでした。
細⾙選⼿:それで他の先⽣に診てもらうことになったんですね?
畑尾選⼿:はい。家族には疲労回復の⾷事にしてもらうなど、考えられることはしていましたが、⼀向にコンディションが良くならないので、内科で診てもらうことにしたのです。次に受診した呼吸器科で慢性肺⾎栓塞栓症だと診断されて、そこから⼤学病院の呼吸器科へ⾏き、最終的には、⼿術を受けることになる病院の循環器科を紹介してもらいました。
病名を知らされたとき、「どういう病気なんだろう」と思った
細⾙選⼿:慢性肺⾎栓塞栓症という重病だと分かった時、どのような状況だったのですか?
畑尾選⼿:その時はちょうど、全⽇本⼤学サッカー選⼿権の準決勝と決勝戦の間でした。試合で動くことはもうできなくなっていたので、出場できなかったのですが、決勝で少しでもピッチに⽴ちたいと思って、練習は続けていました。でも診断がついた時点で、薬を飲み始めることになるためプレーはできないということが決まっていました。実際、翌年の9⽉に⼿術を受けるまでは、サッカーをすることができませんでした。
細⾙選⼿:病名を知らされた時、どのように思いましたか?
畑尾選⼿:まず、「どういう病気なんだろう」と思いました。説明されても、あまりピンとこなくて。どうすれば決勝戦に出られるのかばかりを考えていましたね。
細⾙選⼿:選⼿であれば、たとえ怪我をしても、どうしてもピッチに⽴ちたい、隠してでもやりたいと思うのは当然ですよね。でも、そのときの畑尾選⼿は気持ちだけで乗り越えるレベルを超え、体も限界にきていたのでしょう。過酷な状況を乗り越えて今があると思うと尊敬します。
⼿術、そして回復へ モチベーションの源
主治医の先⽣と相談して受けた⼿術
細⾙選⼿:畑尾選⼿は、CTEPHにまでは進⾏していなかったのですか?
畑尾選⼿:そのまま放置していたらCTEPHになって、おそらくサッカーはできなくなっていたと思います。
細⾙選⼿:⼿術を受けたとのことですが、いつ頃ですか?
畑尾選⼿:診断を受けたのが2012年の11⽉で、その翌年の9⽉に⼿術を受けました。この⼿術は、基本的には⽇常⽣活に影響がある⼈が受ける⼿術で、ご⾼齢の⽅が多いんです。僕の場合は、⽇常⽣活にはさほど影響してはいなかったものの、プレーにはかなり⽀障が出ている状態でした。
畑尾選⼿:でも、アスリートである僕にとって⽇常⽣活に困らなくてもサッカーができないのは致命傷です。そんな僕の⽴場を理解し、⼿術が有効なのかを主治医の先⽣が真剣に考えてくれて、それで「よし、やりましょう」となったのです。
細⾙選⼿:⼿術の後、しばらく⼊院したのですか?
畑尾選⼿:⼿術後はすぐに退院できました。先⽣によれば、⼀般的に僕が受けた⼿術では、さほど⻑く⼊院しないそうです。
細⾙選⼿:それから徐々に、運動や練習をスタートしたのですか?
畑尾選⼿:最初は⾛れるのがとてもうれしくて、とりあえず1回ダッシュをしてみようと思ってやってみたのですが、前につんのめりそうになってしまって(笑)。⾃分の頭のなかにあったスピードが、状態の良い時のスピードだったので。気持ちだけが先に⾏ってしまって、体が追い付いていなかったんです。
細⾙選⼿:いまも毎⽇、薬を飲んでいますか?
畑尾選⼿:練習や試合に合わせて⾎液を固まりにくくする薬を飲んでいます。それにバス移動などで、同じ姿勢でいる時間が⻑いと⾎液が固まりやすくなってしまうので、こまめに⽔分補給をしています。
サッカーをしたいというモチベーション、家族、ファンの⽅の⽀えが治療の励みに
細⾙選⼿:なるほど。⽇頃からいろいろと気をつけているんですね。治療中、励みにしていたことはありますか?
畑尾選⼿:やはりもう⼀度、全⼒でサッカーがしたいというのが⼀番でした。でも、それだけでは弱いというのも痛感しました。本当にサッカーができるようになるのかという不安もあって、モチベーションを保つのが難しいこともありました。そういった時、やはり⼀番の⽀えになったのは、幼い時から応援してもらっている家族を思うことでしたね。
細⾙選⼿:挫けそうになることも当然あったと思いますが、どうやって乗り越えてきましたか? 仲の良い友達に相談したりとか。
畑尾選⼿:当時、⾃分の同期がすでにJリーグで活躍していたり、企業に就職して働いていたりしたので、同期を羨ましく思ったり、負けたくないという気持ちもあったりもしました。ちょうどそんな時、テレビで特集をしてもらったことがあって、放送後にツイッターなどで知らない⼈たちから、「がんばってください」などの励ましのメッセージをたくさんもらうようになって。どれほど勇気づけられたか分かりません。
細⾙選⼿:スポーツ選⼿にとって、ファンの応援は⼤きいですよね。僕はいま海外にいるので、⽇本⼈のファンから直接、顔を合わせて「応援している」と⾔われることは多くないですけど、それでもいろいろな苦難に直⾯しているときには、ホームページなどにもらうメッセージをみています。ひとりで戦っていくと思うと苦しいですけど、応援してくれる⼈がいればなんとか乗り越えていけると実感しました。⾃分が様々な⼈に⽀えてもらった分、僕も苦しんでいる⼈を何かで⽀えていきたいなと思うようになって、このCTEPHの啓発⼤使をやらせてもらっています。
病気を乗り越えた今、伝えたいこと
病気を乗り越え、多少のことでは浮き沈みしなくなった
細⾙選⼿:この病気を乗り越えてきたことで、⾃信がついたことはありますか?
畑尾選⼿:多少のことでは、浮き沈みしなくなった、というのはあります。以前は、⼤切な試合の時などにすごく緊張してしまって、⾃分のプレーができなかったことがありました。ところがJリーグのデビュー戦、埼⽟スタジアムの浦和レッズ戦でのこのとなのですが…。
細⾙選⼿:埼⽟スタジアムは、地元チームへの応援が凄い!プレッシャーですよね。
畑尾選⼿:はい。しかも、降格争いの佳境の時期だったので、すごく緊張するだろうなと思っていたら、意外と⼤丈夫だったんです。⾃分なりのプレーができたと思いました。気持ちがブレなくなったのは、この病気という試練を乗り越えたからなのかな、というのはあります。
活動時、息切れ等の症状があるならば、早めに病院を受診してほしい
細⾙選⼿:慢性肺⾎栓塞栓症という病気になった⼈の中では、回復も早くて、回復度も⾼い⽅だと思いますが、それは、病気の発⾒が早かったからですか?⽇常的に運動をしていたから、⾃分のコンディションの悪さに早く気がついたのでしょうか?
畑尾選⼿:そうだと思います。⽇常⽣活では、あまり問題がなかったので、運動をしていなかったら、もっと気がつくのが遅くなっていたと思います。
細⾙選⼿:もし、そのままにしていたら、もっと症状が進んでいたかもしれませんね。啓発⼤使として患者さんと接する中で、発⾒が遅れてしまう⽅もたくさんいると聞きます。
畑尾選⼿:⼿術をしてくださった主治医の先⽣からもなかなか治療にたどりつけない患者さんがたくさんいらっしゃると聞きます。「君が活躍して、もっとCTEPHのことを世の中に広めてほしい」とも⾔われています。
細⾙選⼿:病気を持っている⼈がたくさんいて、でも診断がつかない、あるいは気がついていない⼈がいる中で、そういう⼈たちに、何かアドバイスはありますか?
畑尾選⼿:僕の経験で⾔えば、座っているときや⾷事をするなど、普段の⽣活をする分には問題がないけれども、駅の階段とか、⾃転⾞をこいでいる時に息が切れている状態であれば、病院で診察を受けてほしいです。病院に⾏くには、時間もお⾦もかかるし、⾏くこと⾃体が億劫かもしれません。でも⾃分の命のことなので、症状があるのなら早めに病院に⾏ってほしいです。
細⾙選⼿:⾒つかりにくい病気であることもあるから、もし不安が取れないのなら、他の先⽣にも診てもらってもいいと思います。
畑尾選⼿:僕も今回、セカンドオピニオンの⼤切さをすごく感じました。先⽣によって、診断の仕⽅や判断が違うこともありますから。それにもし、この病気の早期発⾒ができていなければ、僕の場合、CTEPHになっていましたし、CTEPHの⼿前で治療したからこそ、またサッカーができるようになったと思っています。このことから⾔っても、病気の早期発⾒は、本当に⼤切です。
CTEPH患者さんへのメッセージ
細⾙選⼿:最後にCTEPHの患者さんへのメッセージをお願いします。
畑尾選⼿:最初に診断をされた段階では、すごくネガティブな気持ちになってしまうこともあると思います。でも夢や希望を持って、ポジティブな気持ちで努⼒しながら、それに向かって⾏くことが、病気の治療につながると思います。ぜひ、⽬標や希望を持って、前向きな気持ちを忘れないでほしいです。
細⾙選⼿:僕もたくさんの⼈たちと話をさせてもらって、この病気は、⾃分では分からない、病院でも分からない、診断がつきにくい病気だということが分かりました。何かおかしいなということがあれば、すぐに診察を受けてほしいですし、もしそれで何かが分かれば、そこから先に進むことができると思います。そして畑尾選⼿が⾔うように、夢や希望を持つことが、1歩、2歩と⾃分が成⻑していく⼒になると思います。僕もサッカー選⼿として、CTEPH啓発⼤使として、これからもサポートを続けていきます。

はたお ひろと
畑尾 ⼤翔選⼿